新型コロナウイルスと免疫学

新型コロナウイルスの起源

 新型コロナウイルスがどこから来たのかは不明です。このような発生源が不明なウイルスは新型コロナウイルスに限ったことではありません。多くのウイルスの発生源は解明されていないのが実情です。例えばエイズの原因になるHIVもサルから来たと言われていますが、どのような経緯でヒトに感染したのかや、最初の感染者は誰だったかといったことはわからないのです。

 一方で、新型コロナウイルス感染症が「最初に報告された」のはどこか?というと、これは中国の武漢市になります。2019年の12月の末に武漢市内で非定型肺炎が集団発生しているとの情報が流れました。その原因として2020年の1月に中国の複数の研究グループからコロナウイルスが原因だと報告されました。最初は武漢市内にある華南海鮮市場でお店を開いている店員や客たちが発症したことから、市場で売られていた野生の動物が原因ではないかとも報道されました。しかし、この華南海鮮市場が発生源かどうかは後の調査で疑問視されています。例えば、2020年の3月26日に掲載されたニューイングランドジャーナルの論文(N Eng J Med 2020 382: 1199-1207)では最も初期に発見された2人の患者は華南海鮮市場を訪れていないと指摘してます。その後、ヨーロッパで2019年の間に採取したサンプルから新型コロナウイルスが検出されたとの報道があったり、米軍が中国に持ち込んだ可能性について中国政府が発表したりするなど、結局のところ発生源がどこかは既に永遠の謎となっています。

 

 ウイルスの遺伝学的な調査からは新型コロナウイルスと最もよく似たウイルスはコウモリのコロナウイルスであると一時期報告されました。これは2020年2月3日にNatureで発表された論文(Nature 2020 579: 265-269)の中で、新型コロナウイルスはコウモリに感染しているBat-SL-CoVZC45ウイルスと82.3%のアミノ酸が保存されていると発表されたことや、それ以前のいくつかの論文で遺伝子配列の検索結果から、このコウモリのウイルスが最も新型コロナウイルスと似ていると発表されたためです。

 このBat-SL-CoVZC45というウイルスの名前は、コウモリにいるSARSウイルスと似たコロナウイルスのZC45株という意味です。このウイルスは2018年に中国の研究者らによって最初に報告されました(Emerging Microbe & Infections 2018 7: 154)。この報告を読むと中国の研究グループは浙江省の舟山市の洞窟にいるコウモリを捕獲し、2017年の2月17日に捕まえた85匹のコウモリ(Rhinolophus sinicus:キクガシラコウモリ)の一匹から、このBat-SL-CoVZC45と呼ばれるウイルスがとれたようです。このウイルスは研究室でよく使われるVero細胞には感染できませんでしたが、中国のBSL3の施設内で、ウイルスに感染しているコウモリの組織抽出液を生後3日の授乳期のラットの脳に注射してやると全身の様々な臓器でウイルスが増殖することが観察されたと論文中で報告されています。

 

 Bat-SL-CoVZC45と呼ばれるウイルスの性質は新型コロナウイルスと大きく違っています。新型コロナウイルスはラットには感染せず、逆に研究室でよく使われるVero細胞には感染できません。ですので、新型コロナウイルスとこのウイルスが似ているからといっても、このウイルスが直接ヒトに感染したわけではないようです。その後の研究から新型コロナウイルスと似ていると報告されたウイルスはBat-SL-CoV-RaTG13と呼ばれるウイルスです。このウイルスは先に紹介したNature誌と同じ号の2020年2月3日に発表された論文に掲載されていました。このウイルスは中国の雲南省にいたコウモリのナカキクガシラコウモリ(Rhinolophus Affinis)から採取されたウイルスと論文の中で記載されています。

 

  今回の新型コロナウイルスの名前がSARS-CoV-2と名付けられたように、2003年に中国で流行したSARSの原因となったコロナウイルス と新型コロナウイルスは似ています。以前にSARSが流行した時に中国国内ではSARSに関しての研究が活発に進められました。その時にSARSのコロナウイルスと似たウイルスはコウモリにも感染していることがわかったのです。そのため、今回の新型コロナウイルスも当初はコウモリからヒトに感染したのではないか?と考えられました。ところがその後にコウモリ以外の動物からも新型コロナウイルスに似たウイルスが発見されたと2020年の3月26日のNature誌に発表されました(Nature 2020 583: 282-285)。その動物はマレーセンザンコウという動物です。センザンコウといっても馴染みがない動物ですが、漢方薬の材料に使われることもあるそうです。ウイルスが発見されたのはマレーセンザンコウの主な生息地は中国ではなく、インドネシアやマレーシアなどの東南アジアに生息しているそうです。

 

 パンデミックによる社会的な影響がとても大きかったので、ウイルスの起源についてはさまざまな説が提唱されていますが、当たり前ですがウイルスに位置情報は入っていませんので、その発生源が政治的な意図があって特定されたと発表されることはあったとしても、科学的に特定することはかなり難しいと思われます。

感染しても抗体ができない人がいる理由

 今回の新型コロナウイルス感染症では、感染しても抗体ができない人が意外と多くいることがわかりました。通常は、ウイルスに感染すると、そのウイルスに対する抗体ができるので、抗体ができていることを持って、その人が感染歴があることがわかります。ところが、新型コロナウイルス感染症の場合は、感染しても新型コロナウイルスに対する抗体ができない人が10%以上いることがさまざまな研究で報告されています。

 

 その理由については十分には説明されていないことがありますが、免疫学の教科書では、「獲得免疫系の活性化には体内で閾値以上の微生物の数が存在することが必要」と書かれています。抗体ができるにはB細胞やT細胞が活性化する必要があります。このB細胞やT細胞が活性化すると、獲得免疫が活性化したと言います。例えば、獲得免疫が活性化するには体内で100個のウイルスが必要だとすると、10個のウイルスが体内に入り、100個にまで増えるまでにウイルスを排除した人は、感染はしたけれども獲得免疫が活性化しないので、抗体ができずに治ることになります。このような現象は20年ほど前の免疫学ではなかなか説明できませんでした。それは自然免疫の研究が十分に進んでいなかったからです。


 以前は、ウイルスを排除するには獲得免疫系が活性化して、抗体ができてウイルスを中和するか、T細胞が活性化して感染細胞にアポトーシスを誘導することでしかウイルスを排除することはできないと考えられていました。ところが、自然免疫の研究から、自然免疫だけでもウイルスを十分に排除できることがわかってきたのです。つまり、体内に10個のウイルスが入ってきて、100個にまで増える前に私たちが持つ自然免疫がウイルスを排除した場合は、抗体ができないことになります。このように獲得免疫の活性化には閾値を超えるウイルスが必要と考えることで、感染しても抗体ができない人がいる理由を簡単に説明できるようになりました。

 

 

 抗体ができる人とできない人について、一つ興味深い研究があります。それは、新型コロナウイルスに感染して抗体ができた人とできなかった人の年齢を比べた研究です。若い人の方が免疫力が強いので、きっと年齢が高くなるについれて抗体ができない人が増えると思いがちですが、実際はその反対で、若い人の方が抗体ができない人が多かったのです。これは若い人の方が獲得免疫も強いですし、自然免疫も強いからと説明できます。つまり、体内にウイルスが10個入った時に若い人の方が自然免疫が強いので、100個に増える前にウイルスを排除しますが、年齢とともに自然免疫も衰えるので、ウイルスを自然免疫だけで抑えることができず、獲得免疫が活性化してしまう高齢者が多いと説明できます。


 若い人の方が自然免疫が強いからウイルスを排除できるとはいっても、抗体ができた方が次の感染の予防になります。そのような時に大事なのが、ワクチンになります。閾値以上の不活性化したウイルスやその一部を体内に入れることで、確実に抗体の産生を誘導できることになります。例えば、閾値が100個のウイルスだった場合には、1000個の不活性化したウイルスやその一部を体内にワクチンとして入れることで、獲得免疫系を確実に活性化して抗体を作らせることができます。実際に、感染した人では抗体ができない人が意外と多くいますが、新型コロナワクチンを接種した場合にはほとんど全ての人が抗体ができるという研究結果があります。

ファクターXと日本

 新型コロナウイルスに関連したファクターXという言葉は私が知る限り、京都大学の山中伸弥先生が最初に使われたと記憶しています。新型コロナウイルスによる死亡率などの数字が日本では欧米に比べて低いため、「なにか知らない要因があるのでは?」と考え、ファクターXという言葉を使われたようです。国によって検査体制が異なることを考えると、検査で陽性となった数と実際の感染者数には大きな違いがあるケースもありますので正確なことは分かりませんが、このファクターXの要因として考えられる可能性は次のようなものです

 

(可能性1)医療レベルの違い

(可能性2)遺伝的な違い

(可能性3)既往歴の違い

(可能性4)その他の要因

 

 医療レベルについてはイギリスやフランスなどの先進国と日本ではさほど変わらないと思われますので可能性1は低いように思われます。可能性2の遺伝的な違いは重要かもしれません。少し専門的な話になりますが、私たちが持つHLA遺伝子の違いは特定の感染症に対する免疫応答の強さに大きく影響します。そのため、可能性の一つとしてアジアでは新型コロナウイルスに対する免疫応答が生じやすいHLA遺伝子を持っている人が欧米と比べて多い可能性があります。また、免疫には他に様々な遺伝子が関連していますので、アジアでは新型コロナウイルス感染に対して有効な免疫応答が生じる遺伝子を持っている人が多い可能性があります。一方でアメリカは多様な人種がいるために、もし人種による遺伝的な違いがファクターXとなっているならば、アメリカでは特定の人種だけで死亡率が高くなったり低くなったりすると予想されますが、実際は、人種よりは経済状況の方が大きな要因だったとする報告もあります。

 

 可能性3の既往歴の違いとは、アジアでは新型コロナウイルスに似たウイルスに以前感染した人が多いために、ある程度の免疫ができている可能性です。アジアと欧米で比較した研究成果はまだでていませんが、新型コロナウイルスが現れる前に採取した人の血液の中には、新型コロナウイルスに対して反応する抗体があったりT細胞がいたりする報告がありますので、もしかするとアジア人は欧米の人に比べて以前からコロナウイルスに対して免疫を持っていた可能性もあるかもしれません。ただ、これまでの研究から風邪のコロナに感染した人が新型コロナに対する抗体を持っていないとする報告が数多く出ていますので、この可能性はかなり低いと思われます。

 

 可能性4として一時期にBCG仮説がテレビなどでも話題となりました。これはBCGワクチン接種を子供の頃に受けている国では新型コロナウイルスの致死率が低いことに由来します。しかし、この可能性はほとんどないと個人的に思います。また日本ワクチン学会ではBCGが新型コロナウイルスに対して有効かどうかについては科学的に明らかになっていない旨の声明をだしています。BCGが有効かもしれないとの根拠のない噂話によって幼い子供がBCGワクチンを受けることができない事態になれば深刻な問題となります。

 このBCGの話がでた根底には自然免疫記憶という現象があります。BCGワクチンはもともと結核の予防ワクチンです。ところが最近の研究からこのBCGワクチンが自然免疫記憶を誘導することがわかりました。自然免疫記憶とは、一度ある感染症に感染するとしばらくの間は強い自然免疫応答が生じることです。そして、この自然免疫記憶は従来の免疫記憶とは異なり抗原非依存性という特徴をもっています。

 簡単に説明すると、インフルエンザワクチンはインフルエンザを予防しますが結核は予防できません。このように特定の病気だけを予防できることを獲得免疫と呼びます。一方で自然免疫では病気の種類を選びません。つまりBCGワクチンは結核を予防するのですが、結核だけでなくインフルエンザの感染も予防するという結果が動物実験で報告されています。

 ただし、この自然免疫記憶は一年しか持たないことが知られています。つまり非常に忘れやすい記憶なのです。そのため子供の頃に受けたBCGワクチンによる結核に対する獲得免疫の記憶は大人になっても残りますが、一方の自然免疫記憶は子供のうちに消え去ってしまい大人になっても残っていることはありません。その理由として獲得免疫では生体内で数十年受け継がれる記憶B細胞や記憶T細胞によって記憶が受け継がれるのに対し、自然免疫では生体内で数ヶ月しか存在しない単球によって自然免疫記憶が受け継がれるからです。

 このような記憶を担う細胞の種類により、子供の頃に受けたBCGワクチンがコロナウイルスに予防的に働くことは現代の免疫学ではあり得ない現象となります(ただし、未知のメカニズムで自然免疫記憶が受け継がれている可能性は否定できません)。

 

 そもそも、本当にファクターXが存在するのでしょうか?流行初期には確かに東アジアを中心として致死率が低いことが指摘されていましたが、2022年の7月のworldmeterというwebサイトで集計されているデータによると必ずしもそうではないようです。下の図は世界の二百数十カ国の国別の死亡率をグラフかしたものです。左の図が全体ですが、確かに日本は死亡率が低いようですが、右の拡大図を見るとわかるように、日本は台湾や韓国、シンガポールなどと比較すると致死率が高いことがわかります。そして、ヨーロッパとしてはオランダやノルウェーの方が日本より致死率が低いという結果になります。

 このような致死率の計算は検査をどれほど積極的にしたかで変わってくるので、本当の致死率を反映しているかどうかは不明ですが、少なくともファクターXが存在するという根拠は今のところないようです。


新型コロナとマスク

「マスクではウイルスを防ぐことはできないよ」

 そのように言われることが多くあります。たしかに、ウイルスは非常に小さいのでマスクを簡単に通り抜けることができます。しかし、マスクは空気中の水滴や塵にくっついていることが多いためにマスクをすることで体の中に入ってくるウイルスの量を減らすことができます。そして、このウイルスの量を減らすことがとても大切なのではないかと思います。なぜなら、あまり知られていませんがウイルスも毒と同じで致死量というものがあるからです。

 「ウイルスの致死量」というと何のことかわからないと思われるかもしれませんが、毒には致死量があることはよく知られています。実は、ウイルスにも致死量があって、致死量以上のウイルスが一度に体内に入ると死亡しやすいのに対し、致死量以下ではあまり死なないことが動物実験からわかっています。そのため動物実験をする研究者は最初に実験動物に対するウイルスの量としてLD50(lethal dose: LD)という値を決めます。このLD50とは感染したマウスの50%が死亡するウイルスの量になります。例えば下の図は私たちの研究室の論文の図です。

 

 この図は、実験用のマウスにポリオウイルスを感染させた後の生存率を調べたものです。ポリオウイルスは小児麻痺の原因となるウイルスの一つで日本ではほとんど患者はいません。ポリオウイルスは通常はマウスには感染しませんが、PVRという遺伝子を持たせたマウスは例外的にポリオウイルスに感染しやすくなります。黒の四角のグラフを見ていただければわかりますが、図のBでは20万個のポリオウイルスを一匹のマウスに感染させると5日後には全てのマウスが死亡します。しかし、その1/100となる200個のウイルスを感染させた場合には(図C)二週間たっても8割以上のマウスが元気にしています。どちらも同じポリオウイルスに感染していますが、感染したからといって必ず死亡するわけではありません。

 

 このような現象はインフルエンザウイルスでも見られますので、おそらく新型コロナウイルスでも同じだと思われます。ウイルスは体内で増殖するため少しでも体の中に入って感染してしまうともうダメだと思いがちですが、実は毒などと同様に一度に体に入ってくるウイルスの量を減らすことで死亡率を下げることができるのです。そのように考えるとマスクなどで体の中に入ってくるウイルス量を減らすことが死亡リスクを下げる大きな要因になることがわかります。ファクターXの正体はわかりませんが、少なくともマスクをすることはとても大切だと思われます。 蛇足になりますが、右の図の白い四角のグラフは私たちの研究室で発見したTICAM-1遺伝子を欠失させたマウスです。このマウスでは200個のウイルスでも10日後には全てのマウスが死亡します。このことから遺伝的な要因も非常に大きいと思われます。

 

(図の出展:右の図はOshiumi H et al J.Immunol. 2011, 187: 5320-5327の図2を改変したものです)

 

 このようにウイルスの致死量を考えると、実はマスクをつけることで体内に入るウイルスの量を少しでも減少させることは、感染を予防する効果とともに、ウイルスによる重症化を防ぐ効果もあると期待されます。そのことから、パンデミック初期に日本人が早い時期からマスクをしていたことが、パンデミック初期にだけ日本でファクターXが存在した理由なのかもしれません。