がん細胞が免疫応答により破壊され退縮するという予測は100年以上前からありました。いやゆる癌免疫療法を初めて実践した人物として紹介される人物は100年ほど前のアメリカでニューヨークの病院で外科医をしていたウイリアム・コーリーです。
コーリーは1862年に生まれ、アメリカのエール大学を卒業後にハーバード大学医学部に入学して1888年に卒業しています。卒業後はニューヨークの病院で外科医として働いていました。コーリーががんの研究に取り組んだのは一人の患者を診たことがきっかけといわれています。1890年にコーリーが担当したベシー・ダシールという17歳の少女は手にユーイング肉腫を患っていました。その手首から指先にかけて大きく腫れていた腫瘍をコーリーは外科医として取り除きましたが、がんが転移していたためにその少女は手術から半年ほどで亡くなったそうです。その時の無念な想いがコーリーをがん研究へと導いたといわれているのです。
コーリーは手術以外の方法でがんを治す方法はないかとニューヨークの病院の過去の症例を調べつくしました。そして、その7年ほど前に手術不能の悪性腫瘍を患っていた患者が丹毒という病気に罹ったあとに腫瘍が消えた症例があることを発見しました。この丹毒というのは化膿レンサ球菌(Streptococcus pyogens)という細菌が原因の感染症です。この症例を発見したコーリーは本当にこの患者の腫瘍が消えたのかどうかを確認するため患者本人を探したところドイツからの移民でシュタインという人物でした。そこでコーリーが再度診察をしたところ確かに悪性腫瘍は消えていたのです。
コーリーはこの症例に衝撃を受けてさらに以前の文献を調べました。すると、1725年にもディディエという人の文献に梅毒の患者はほとんどがんを発症しないとの記述があることを見つけました。また外科病理学の祖として知られるジェームズ・ページェット卿が「感染によりがんが縮小することがある」と記録していることも発見したのです。1862年にはドイツのブッシュ医師が悪性腫瘍が丹毒に罹ることで消えたとの記録を残していることも発見しました。この丹毒とよばれる病気ですがコーリーがいた時代の1881年までに化膿レンサ球菌が原因として既にわかっていたそうです。そして1888年にブランズ医師ががん患者に化膿レンサ球菌を感染させることでがんが縮小したと報告していることも発見しました。さらに詳しく調べると少なくとも47の症例で何らかの感染症により腫瘍が小さくなったと報告していることをコーリーは発見しました。
コーリーはこのような以前の症例や過去の文献から化膿レンサ球菌をがん患者に感染させることでがんが治るのではなないかと考えて臨床試験をしました。1891年に一人のがん患者に化膿レンサ球菌を感染させたところコーリーがいうのは確かにがんが小さくなったそうです。そしてもう二人のがん患者にも化膿レンサ球菌を感染させたところ、この二人の患者のがんも小さくなったそうです。丹毒そのものも危険な感染症でこの実験のうちの一人は丹毒が原因で亡くなったといわれています。それでもコーリーはがんが小さくなった事実を1891年に公表しました。
生きた化膿レンサ球菌を感染させると丹毒が原因で患者が亡くなることから、もっと安全な方法はないかと模索したコーリーは化膿レンサ球菌を滅菌したあとの菌の成分を用いることにしました。これがコーリーワクチンやコーリーの毒とよばれるものです。このコーリーの毒をもちいて臨床試験が繰り返され、80編の論文を発表するとともに1936年までに1000人以上のがん患者に試験を繰り返したそうです。このコーリーの毒は1899年にパーク・デイビス社が製造を担い30年にわたって使用されました。コーリーのこのような努力に対して多くの寄付や支援が寄せられたそうです。
コーリーの毒を用いたがんの治療は現在では、コーリーの毒によって活性化した免疫応答によって腫瘍が退縮したのだろうと考えられています。そのことから世界で初めてがん免疫療法を実践した人物としてウイリアム・コーリーの名前が挙げられているそうです。しかし、このコーリーの臨床研究については当時から現在までも厳しい批判の目にさらされていることも事実です。
批判されている理由の一つとして他の医師がコーリーの毒を使ってがん患者の治療を試みてもほとんどの場合で腫瘍は小さくならなかったためです。これはコーリーが治療のプロトコルをしっかりと確立していなかったことも原因として指摘されています。コーリーは、ある時はコーリーの毒を静脈から入れてみたり、ある時は筋肉に注射してみたりするなどして13種類ほどの治療方法をそのつど使い分けていたそうです。そのため1894年の段階ですでにコーリーの毒はまったくデタラメだとする批判がありました。またコーリーと同じ病院に勤めていて、コーリーの上司にあたるジェームズ・ユーイングという医師は当時始まったばかりの放射線療法に取り組んでいたためコーリーの毒をガン患者に使うことを許さなかったこともあったそうです。そのようなこともあり1920年代ではすでにコーリーの毒による腫瘍の縮小は誤った診断によるものだと強く批判されていました。
このコーリーの毒についてですが、最近の研究からは体内でTNF-αと呼ばれるサイトカインが上昇することでがんが退縮したのではないかと考えられています。一方で、ヨーロッパで最近になって実施された追試験では効果は全く観察されなかったと結論されています。このようにがん免疫療法を初めて実践した人物として紹介されるコーリーですがその業績については大きな疑問が投げかけられています。
細菌だけではなくてウイルスに感染することで腫瘍が小さくなることも古くから報告されています。1896年には、骨髄性白血病の42才の女性患者が、インフルエンザに罹ったあとで脾臓と肝臓の肥大が正常の大きさにもどり、増加していた白血球数が70倍も減少したとの症例も。また、1953年の報告ではリンパ腫を患っていた4才の男の子が水痘に感染したのちに数日の間で肝臓と脾臓の大きさがほぼ正常値にもどって白血球数も大きく減少したことも報告されているそうです。その他にも、白血病やバーキットリンパ腫などの患者で麻疹ウイルスの感染後にがんの病態が回復したことが報告されています。このことから、がん患者にウイルスを意図的に感染させる臨床試験も古くは行われていました。1949年には22人のホジキンリンパ腫患者にB型肝炎ウイルスを感染させる試みが実施されて、4人に腫瘍の退縮が観察されて、7人にある程度の効果が観察されましたが、14人が肝炎になってしまいその内の1人が死亡しています。さらに1974年にはムンプスウイルスを90人の末期がん患者に感染させたところ37人に顕著な治療効果を認めたとの報告もあるそうです。
このように感染によって癌が消える現象は実はもっと以前から知られていたようです。そのもっとも古い記録として、古代エジプトのパピルスにその記載があります。紀元前1550年に記録されたパピルスには、古代エジプトの神官であったイムホテップは、癌に対する治療方として、切開後に患部に布を当てることで感染を局所で誘導する方法を実践していたことが記録されているそうです(1)。また、14世紀にもPeregrine Lazioziという若い司祭の足にできた腫瘍が、感染することで自然と消えてしまったことが記録として残されています(2)。この他にも癌が感染によって自然に消える例は、歴史的には数多く残っているそうです。
ところが、このような感染性の微生物を用いて免疫を活性化することでがんを治そうとする試みの多くは再現性がなく失敗しています。しかし一つだけ有効なものがあります。それが膀胱癌の患者に対して用いられている結核菌の弱毒株として知られるBCGです。このBCGを開発したのはアルベール・カルメットとカミーユ・ゲランです。BCGのCはカルメット(Calmette)から名前がとられ、Gはゲラン(Gurein)から名前がとられています。このBCGはもともとは結核の予防ワクチンとして開発されましたが現在はそれだけにとどまらず膀胱癌の患者にたいしても用いられています。
1863年にフランスのニースで生まれたカルメットは内科医として働いていましたが香港でマラリアの研究などをおこない学位を取得したそうです。その後はフランス領コンゴや西アフリカのガボンでもマラリアの調査をつづけ1890年にフランスに戻りひきつづき感染症の研究をしていました。一方のゲランは1872年にフランスのポワティエで生まれ、大学ではメゾン・アルフォール獣医学校に入学して家畜の病理学や細菌学を学び獣医として活躍していました。1892年にフランスのパスツール研究所のリール支部に技術者として雇用されたときに、当時リール支部長をしていたカルメットと出会いました。そして、1906年から二人でチームを組んで結核に対するワクチンの開発にとりくんだのです。
結核は現在ではあまり怖がられていませんが古くから怖い感染症の一つとして恐れられていました。最近の研究からは少なくとも6万年以上前から結核菌は存在していて地中海のイスラエル沖で発見された9000年も以前の海底遺跡から残っていた遺体の歯からは結核に感染した跡が見つかっているそうです。また2500年前のエジプトのミイラでも結核の跡がみつかるので古くから人類を苦しめた感染症の一つです。
この結核は20世紀初頭のヨーロッパでも深刻な病としてとらえられていました。結核の原因となる結核菌は1882年にコッホが発見しています。そしてパスツールがさまざまなワクチンを開発していたことに感銘を受けてカルメットとゲランはこの結核菌をつかってワクチンを作ろうとしたのです。そして二人は10年以上の歳月をへて1921年になりBCGと名付けた結核菌の弱毒株が結核の予防ワクチンとなることを発見しました。その後にBCGは世界中で使用されるようになり多くの人が結核になることを防ぎました。
このBCGですが実は使用され始めた当初は大きな悲劇も招いていました。1929年にドイツのトラヴェ川の沿岸でバルト海に面するリューベックという街にあるリューベック市総合病院でBCGを投与した251人の新生児が結核を発症して70人が亡くなってしまったのです。当初はBCGに変異が起きて弱毒株からもとの強毒株へと変異したのではないかと疑われましたが、調査の結果、この病院の培養器ではBCGではなく結核菌のKieh1株が培養されていて、この結核菌を増やした培養器でそのままBCGを培養したことが明らかになったのです。つまり、結核菌のKieh1株はBCG株と同時に増殖してしまい、それが新生児に接種されてしまっていたのです。このことが発覚するとこの病院の責任者が自殺してしまうという事態にまで発展しました。このリューベックでの悲劇があったことでBCGについて否定的な考え方が広がることが心配されましたが原因が解明されたことで再び世界中で使用されることになりました。日本では1925年にBCGが持ち込まれています。そして1948年からは現在のように結核に対する予防ワクチンとして日本でも広く使用されるようになりました。
このように結核に対するワクチンとして開発されたBCGですが、その後にがんとの関連でも注目されるようになりました。1929年にアメリカのジョン・ホプキンス病院のR・パールらが結核患者ではがんの発症率が低いことを報告したことなどからがんと結核との関連に注目が集まったのです。1969年にはフランスのG・マスらがマウスを用いた動物実験で白血病がBCGを投与することで改善することを報告しました。また、1970年にはアメリカのモートンらがBCGを投与することでメラノーマが小さくなることを動物実験で報告したのです。さらに1975年には膀胱癌に対する治療としてBCGを投与する実験が動物実験で実施されています。1970年代にはさまざまに膀胱癌患者にたいしてBCGを用いることが試みられました。1976年にカナダのアルバロ・モラーレスは膀胱癌患者にたいしてBCGを投与し一定の効果がでたことを報告しました。そして様々な研究がなされ1990年代になるとアメリカのFDAが膀胱癌患者にたいするBCGを用いた治療法を承認したのです。日本でも結核とがんとの関連で丸山ワクチンが一時話題となりました。丸山ワクチンについては今でも議論がありますが、コーリーが微生物を用いることで免疫を活性化させがんを直すという方法論はBCGの成功があるためにおそらく一定程度の効果はあったのだろうと推測されることもあります。
細菌やその成分を用いるのではなく植物や菌類を用いて免疫を高めようとする試みもかつては話題となりました。日本でも有名なのはアガリクス茸ではないでしょうか? アガリクス茸はハラタケ属のキノコで、学名はアガリクス・サブルフェンスです。日本ではニセモノカサやヒメマツタケとしても知られています。アガリクス茸についてのもっとも古い記録として1893年にアメリカのチャールズ・ペックらによる記述があります。このアガリクス茸は南米の一部の地方で食されてきました。1960年代にブラジルのサンパウロ郊外のピエダーテと呼ばれる山地でアメリカのランバートとシンディらによって再発見されています。この地域に住む人々は長寿でがん患者がほとんどいなくて生活習慣病もほとんどなかったといわれています。このアガリクス茸が自生していた地域に住む人々の話では、アガリクス茸はインカ帝国の時代から食されてきたと伝えられていて「神のキノコ」や「太陽のキノコ」と呼ばれていたそうです。この伝承にランバートとシンディらは興味をもちアガリクス茸に注目したそうです。この頃にはこのピエダーテ地方にする日系人によってもアガリクス茸が日本に持ち込まれました。日本に持ち込まれたアガリクス茸ですが1990年代に協和エンジニアリングが人工栽培に成功しています。
このアガリクス茸はβグルカンと呼ばれる物質が他のキノコと比較して多いことが知られています。そしてこのβグルカンにがんに対する免疫応答を活性化する作用があると指摘する人もいます。その理由としてβグルカンが自然免疫で働くToll様受容体の一つを活性化することが知られているからです。しかし、このアガリクス茸にまつわる話は厳しく非難されていてさまざまなデマも流されています。一番有名なデマとされるものがアメリカのレーガン元大統領ががんの治療のためにアガリクス茸を食べたというデマです。これは全くのデタラメで、レーガン大統領がアガリクス茸を食べてくれたらという話が伝言ゲームのように伝わり悪意があったかどうかは別として最終的に先ほどのデマのような話となり、あたかも事実として多くの人が信じてしまったようです。このアガリクス茸について動物実験で腫瘍を小さくできたとふれまわる人も多くいますが日本の国立医薬品食品衛生研究所が2006年にラットを用いた動物実験では逆に発がんプロモーター作用があったと報告しています。微生物を使ったりキノコなどの植物を使ったりして免疫を活性化させがんを直そうとする試みは多くの研究者や医師たちが成功したと発表することが多くありましたが、BCGの一例以外は全て再現性がありませんでした。このような経緯からがんを免疫で治そうとする試みはデマや詐欺でしかなく全く信用できないと広く研究者たちに印象付けられることになりました。
このような再現性がないがん免疫療法とは別にがんに対する免疫応答の研究は続けられていました。その重要なきっかけはがん細胞に発現するがん抗原の発見です。がん細胞に対する免疫応答が生じるには、がん細胞が抗原を発現していることが前提となります。がん細胞はもともと自己の細胞ですので、自己以外の抗原を発現しないと考えることもできます。ところが1950年代にルイス・トーマスらは、突然変異によりがん化した細胞は、異物として免疫により認識されるのではないかと提唱しました。1953年にはマウスの腫瘍に対して免疫応答が生じていることが報告されました。そして1965年にフィル・ゴールドらが、大腸がんの患者の血清中には癌胎児性抗原が存在することを報告したのです。この癌胎児性抗原とは、胎児期にしか発現しないタンパク質が、がん細胞でも発現しているものです。この胎児期にしか発現していない分子が、がん細胞で発現している理由は、がん細胞の遺伝子変異などにより、発現が抑えられているはずの遺伝子の抑制が壊れてしまいがん細胞で発現するためです。
このように血清中には、癌胎児性抗原があることから、当時の研究者は血清の癌胎児性抗原の有無を調べることで、がん診断ができるようになると考えました。しかし、他の種類のがんでは、この癌胎児性抗原をださないものがいたために、この診断法が広く普及するにはいたらなかったようです。このあとの研究の進展により、がん細胞は胎児期にしか発現しないタンパク質を発現すること、遺伝子変異によりアミノ酸配列が変化したタンパク質を発現すること、このようなタンパク質が抗原として認識されるということがわかってきました。
1991年にはベルギーのテリー・ブーンらが、メラノーマのがん抗原としてMAGE-1を報告しました。その後も多くのがん抗原が報告されています。理論的には、このがん抗原で患者さんを免疫すると、がん抗原に対する免疫応答が活性化し、がん細胞を破壊してくれることが期待されます。実際に、がん抗原を利用したがんペプチドワクチン療法とよばれる免疫療法が数多く臨床試験で試されました。ところがこれらの臨床試験では全く効果がみられなかったのです。このように細菌や植物を使った療法やペプチドワクチン療法の失敗により2000年代に入ってもしばらくは癌を免疫で治すというのは上手くいくあてもないのに続けられている怪しげな研究と密かに囁かれていました。
このような状況を一変させたのがオプジーボなどを用いた癌免疫療法の開発でした。これまでのがん免疫療法が免疫系を活性化させることでがんを治そうとする試みだったのに対して、オプジーボでは免疫の抑制機構を解除することでがんを治すという発想です。このオプジーボはがん細胞を破壊する細胞傷害性T細胞に発現しているPD1と呼ばれる分子の機能を抑制します。このPD1分子が細胞傷害性T細胞の機能を抑制していたのです。オプジーボの開発についてはすでに多くの書籍がでていますのでここでは省略したいと思います。がんを免疫で治すという試みは少なくとも100年以上前から続けられていましたがその多くが失敗するなか、2000年代に入りオプジーボなどの免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれる治療薬が登場したことにより飛躍的な成功を収め、がんを免疫で治す時代へと移り変わったのです。
参考文献
1) Kucerova P and Cervinkova M. Anti-Cancer Drugs 2016, 27: 269-277.
2) Jessy T. Journal of Natural Science, Biology and Medicine 2011, 1: 43-49
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